パブロ・ピカソ

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パブロ・ピカソ

20世紀で最も有名な画家の一人

 

パブロ・ピカソと言えば、世界で最も有名な画家の一人であり、彼の独創的かつ画期的なキューブリズムの作風は後年の画家たちに多くな影響を与え続けています。
逸話も多く残っておち、例えばフルネームがとても長い(Pablo Diego Jose Francisco de Paula Juan Nepomuceno Maria de los Remedios Cipriano de la Santisima Trinidad Martyr Patricio Clito Ruiz y Picasso)ことや、フランコのゲルニカ爆撃を非難した大作『ゲルニカ』についてゲシュタボの将校が複製画を掲げて「これはお前がやったのか?」と問うとピカソは「いや、あなた方がやったことだ」と応じたことなど、愛人の多さなど、枚挙にいとまがありません。

 

愛した人たち

生前から有名な画家であったことも手伝ってか、一生涯でピカソの周囲には常に女性がいました。
ピカソは生涯に2度結婚し、3人の女性との間に4人の子供をもうけました。

 

1人目:フェルナンデ・オリヴィエ(Fernande Olivier)

ピカソの最初の恋人と言われる女性で、ピカソが23歳、彼女が18歳のときから付き合い始めました。

 

2人目:エヴァ、マイセル・アンベール(Marcelle Humbert):

エヴァと呼ばれた女性です。ピカソ31歳、彼女が27歳のときに付き合い始めました。ピカソは作品中に「私はエヴァを愛す」(J’ AIME EVA)や、「私の素敵な人」(MA JOLIE) などの言葉を書きこんで愛を伝えていました。
しかし、若くして癌で亡くなりました。

 

3人目:ギャビー・レスピナス(Gaby Lespinasse)

エヴァが病気に伏している間に知り合い、密かに逢瀬を重ねていた女性です。

 

4人目:オルガ・コクローヴァ(Olga Khokhlova)

ピカソが36歳、彼女が26歳のときに出会いました。最初の妻となり、2人の間にはパウロという息子が生まれました。
ピカソはセルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の、ジャン・コクトー作『パラード』において舞台美術を担当しました。

 

そこで貴族出身のバレリーナ、オルガ・コクローヴァと知り合いました。オルガはピカソをパリの上流階級の社交界に引き入れ、ブルジョワ趣味についてを教授しました。

 

このことがのちのピカソの画風に影響を与えないはずがありません。
2人の間には息子のパウロが生まれました。
ピカソははじめのうちこそ妻の趣味や嗜好に合わせていましたが、次第に生来の気質と相いれないようになり、彼女との衝突が絶えなくなりました。

 

 

ピカソの愛した人たち

世界で最も有名な画家の一人であるピカソの周囲には常に女性がいました。
ピカソは生涯に2度結婚し、3人の女性との間に4人の子供をもうけました。
1人目から4人目は、「パブロ・ピカソ - その1」をご覧ください。

 

5人目:マリー・テレーズ・ワルテル(Marie-Therese Walter)

ピカソが46歳、彼女が17歳のときの愛人関係です。ピカソは妻のオルガと別れようとしますが、資産の半分を渡さなくてはならないと分かり、オルガが亡くなるまでそのままにしていました。2人は密会を重ねてマイアという娘が生まれました。マリーはピカソが亡くなった後自殺をしています。

 

不倫関係は長く秘密にされていましたが、1932年に開催されたピカソの大規模な回顧展でマリーの肖像画が初めて公開され、2人の関係は広く知られることになりました。

 

2012年11月8日、ロンドンの大手オークションハウス サザビーズが米ニューヨークで開いたオークションで、ピカソが1932年に愛人マリーを描いた絵画「チューリップのある静物」が、4150万ドル(約33億円)で落札されたことがニュースになりました。

 

さらに、2013年2月5日、サザビーズでオークションにかけられた、ピカソの愛人であるマリーの肖像画が2860万ポンド(約42億円)で落札されました。

 

6人目:ドラ・マール(Dora Maar)

ピカソが55歳、彼女がが29歳のときに出会いました。二人とも芸術家という立場での愛人関係でした。

 

7人目:フランソワーズ・ジロー(Francoise Gilot)

ピカソが61歳、彼女が21歳のときに出会いました。

 

二人で南フランスのプロバンスに住まいを移し、息子クロードと娘パロマの2子が誕生しました。しかし、結婚はしませんでした。
フランソワーズはフランスに生まれ、幼い頃から絵画を通じて自己を表現してきました。
ピカソの女性たちの中で、唯一彼を振った女性と言われています。

 

ピカソとは10年間過ごし、その後アメリカ人サイエンティストと出会い、別れを告げた彼女にピカソは「私の世界から踏み出してみろ、砂漠へ行くぞ」と引き留めようとしますが、「だったらそこで生きてみせる」と言い返しました。

 

その後、そのアメリカ人と結婚し、アメリカ各地を飛び回り、欧州でも回顧展を開くなど、自分自身でも芸術家として活躍しました。フランソワーズは「ラ・ファンム・フルール(花の女)」と称され、世界的ベストセラー『Life With Picasso』(1964年)などの著書も出しました。

 

8人目:ジャクリーヌ・ロック(Jacqueline Roque)

ピカソが79歳、彼女が27歳のときに出会いました。

 

彼女が南フランスのヴァロリスの陶器工房で働いていたところをピカソに見そめられて結婚、ピカソの2人目の妻となりました。
しかし、この結婚はピカソのフランソワーズに対する意趣返しなのではないかと言われています。
ピカソの死後、ジャクリーヌは自殺をしています。

 

9人目:ジェネヴィーヴィ・ラポルテ(Genevieve Laporte)

ピカソが70代、彼女が20代半ばのときに出会ったといわれておりますが、詳細は不明です。

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