イギリス・チャールズ皇太子
カミラさんを愛し続けた
エリザベス2世第一王子として王位継承順位が1位のチャールズさんですが、1972年にカミラ・ローズマリーさんがアンドルー・パーカー・ボウルズさんと付き合っている時、アンドルーさんの友人であるチャールズさんと出会いました。
チャールズさんはポロと狩猟という共通の趣味を持つカミラさんに興味を持ち、次第に深く愛するようになります。
カミラさんはチャールズさんの2度のプロポーズを2度とも断っています。
理由は「処女じゃないから」ということでした。
1970年代のイギリス王室には伝統として縛られているルールがありました。
カミラさんは1973年にアンドルーとさん結婚しますが、結婚後もチャールズさんとの関係が続きました。
カミラさんもチャールズさんも自分たちの関係が結婚にいたるものではないことを承知していた上でのお付き合いでした。
カミラさんは1995年に離婚をしています。
チャールズさんも1981年にスペンサー伯爵令嬢であるダイアナ・スペンサーさんと結婚します。
しかし婚約発表の前日もカミラさんとチャールズさんは一緒にいました。
ダイアナさんの美しさから「世紀の結婚式」と世界中に報道をされました。
それは一説にはチャールズさんにカミラさんのことを忘れさせるためもあったかもしれません。
しかしチャールズさんはカミラさんと離れようとはしませんでした。
2人の子供に恵まれたにもかかわらず、チャールズさんとダイアナさんの関係は次第に悪化していきます。
ダイアナさんは食べてはすべて吐き出すという過食症に悩まされるようになりました。
一方でチャールズさんとカミラさんはますます離れなくなり、深夜に庭園で逢瀬を交わすということが増えました。
1992年にチャールズさんとダイアナさんが離婚しました。
これを契機に二人の暴露合戦が始まりました。
チャールズさんがカミラさんとの携帯電話の会話を録音した「きみのタンポンになりたい」と言った内容がタブロイド誌に暴露され、これを機にチャールズさんはカミラさんとの不倫を公表しました。
チャールズさんとダイアナさんは1996年に正式に離婚します。
ダイアナの死去
離婚後、ダイアナさんはエイズ問題や地雷除去問題など慈善活動への取り組みを本格化させ、王族ではないながらも非常に高い国民的な人気を博しました。
またダイアナさん自身も不倫を認めています。
しかし、1997年夏にダイアナさんはパリで交通事故死します。
死後はチャールズさんの意向によりイギリス王室が彼女の遺体を引き取り、準国葬の「王室国民葬」に付されました。
女王エリザベス2世が特別声明を出し、また葬儀中にはバッキンガム宮殿に半旗が掲げられるという王族に等しい異例の処置がされました。
しかしその後、チャールズさんととカミラさんは公然と交際するようになり、公式行事にも2人で出席し始めめるようになりました。、ダイアナさん人気の根強さと、カミラさんは愛人でありダイアナを追い詰めた張本人というというイメージの悪さから、訪問各国の首脳陣はともかく、その国の国民から歓迎されることはほとんどありませんでした。
結婚へ
2005年、チャールズさんとカミラさんは、出会いから30数年の時を経て、ついに結婚しました。
2007年に行われたダイアナさんの没後10周年には、ウィリアム王子とヘンリー王子から出席の要望を受け、最初は出席への意向をしめしたが、式典の目的から注意がそれる可能性があると欠席に転じました。
今でも王族との確執が存在しています。